「ミッキーのProITなアメリカンライフ」 あとがき

「ミッキーのProITなアメリカンライフ」をキーワードにグーグル検索したら、about 10,400ものエントリーがあることになっている。「ミッキー」「アメリカンライフ」「ProIT」などの単語に反応したものもあると思われるが、最初の数ページを読む限り、少なくとも数十のサイトが、「ミッキーのProITなアメリカンライフ」のコラムに対するコメントを書いていたり、リンクを張っていたりしていることがわかる。ふ〜む。ありがたいことです。

日経のコラムそのものにコメントを書いてくれる読者はあまりいないので、フィードバックがないのは不安である。

ところで、時々、そのコラムにアメリカのXX事情を書くことがあるのだが、いずれの内容にしても、全米津々浦々、どこにでも通用することではないということを大前提にしている。そもそも「一般論」で話をする時には、必ず例外があることが前提になっている。

日本は比較的(相対的?)に全国均一性が高いというか、全国共通因子の占める割合がかなり高い。ファッションにしても流行にしても、この共通因子で話が通じる。しかし、全国共通因子の占める割合がかなり高いというのは、東京出身の私の見解である。地方出身の人はきっと私の意見に反論することだろう。

東京と一口に言っても、新宿と池袋ではだいぶ違うし、丸の内と表参道も違う。浅草と汐留では違うし、銀座と亀戸も違う。六本木と渋谷も違う。だから「東京は、、、」と言った場合でも、例外は少なからずあるのである。

アメリカは国土面積で日本の23倍。東海岸で大雪になっていても、中西部でトルネードが暴れていても、西海岸では全然知らないことも多い。同じ西海岸だってLAとシアトルではだいぶ違うし、同じカリフォルニアの中だってLAとSFは犬猿の仲に近い部分もあるのである。同じSFベイエリアだって、SFとシリコンバレーでは気候は全然違うし、ライフスタイルも異なる。(もちろん共通部分は多々あるけれど。)

だから、私がコラムで一般化して書くコメントを、そのまま丸呑みして「アメリカ全部がそうなのだ」と思わないで欲しい。決して、アメリカ全土を網羅したコメントを書いているつもりはないのだから。博士論文か何かで、条件を厳密に限定した枠組みでの観察事項を書いているならともかく、「ミッキーという一個人が経験したアメリカンライフの断片」として書いているつもりだ。

ありがたくもスペースを割り当てられ、公開の機会ある場に書かせて頂いているコラムにおいて、「全米で例外なく通用するコメントを書く」なぞという不遜な(かつ不可能な)ことはしません。

とは言うものも、目にした活字を頭から鵜呑みにせずに「そうではないこともある」と反論する気骨には拍手を送りたい。本当かな、と疑ってかかることによって、自分の解釈、理解、改善、進化、発達につながっていくからである。

次回からは、誤解を減らせるように気をつけて書くようにはしますが、、、、。