引き返すべきか、引き返さざるべきか、それが問題だ

今年のクリスマスは、ネバダ州リノのある主人の実家で過ごすことになっている。
予定は24日の朝に自宅を出発して、27日の帰宅。ただしリノへ通じる国道80号線はシエラネバダ山脈越えがあり、それでなくてもよく渋滞するのに、天候によってはチェーンが必要となる。天気予報とにらめっこしていた主人から、「23日の夜から天候が崩れるという予報が出ている。24日が雪になったらシエラネバダ越えが面倒になる。このまますぐ行こう。急いでしたくして。」と電話がかかって来たのが11時半。急いで、荷物を詰める。


それでも1時間強で荷造りを終え、早速出発した。給油して30分も走った辺りで、主人が叫ぶ。
「くそっ、チェーン忘れた。」

確かに。着替えや食料やクリスマスプレゼントは私が荷造りしたけれど、チェーンのことまでは覚えていなかった。もし取りに戻れば1時間以上のロスタイムとなる。けれども取りに戻らずこのまま走ったら、きっとシエラネバダの山越えでチェーンがなくて立ち往生するに違いない。(そういうジンクスなのだ。)
う〜ん、どうしよう。


結局、取りに戻ることにした。この先の行程は4−5時間。わずか30分走ったところで気が付いたのはラッキーだったと思うことにしよう。もし半分以上来ていたら、絶対に戻らない。(そして雪道で立ち往生するのだ。でも我が家の車はスバルのBaja。アウトバックの荷台がトラック風になっているタイプで、もしろん4WDである。多少の雪ならチェーンがなくても走れるという自信はある。)


こんな例は「勇気ある撤退」の例としては貧弱だけれど、決断を求められる場面というのはそこここにあるのだ。

結果的には、予定よりも早くに出発したため、まだ雪は降り出して居らず、クリスマスの連休にリノへ行くスキー客もまだ繰り出していなくて道は空いており、渋滞を回避することができた。