コールドリーディングと観察眼

時々覗きに行くブログサイトにコールドリーディングに関する記述を見つけた。
コールドリーディング自体は、psychic (超能力者)と言われる人が、誘導的な質問をすることで相手が自発的に詳細情報を提供するように仕向け、提供された情報をもとにさらに絞込みをして行き、当たらずとも遠からず的なコメントをすることで、相手が勝手に自分に適用した形でそのコメントを解釈することで、「当たった!!!」とその超能力を認める仕組みを指すらしい。

こういう超能力は胡散臭いと思うけれど、超能力というよりも鋭い観察眼、入手した情報の解析力は、超能力者は人並み以上のものがあるのかも知れないとも思う。

「鋭い観察眼」とそれを基にした「解析力」は、アメリカのTV番組 Psych や Monk、Mentalist のような刑事番組のテーマだ。観察力と解析力を養えば、観察して得られた情報(ここでいう観察は、解釈ではなく、現象をそのまま事実としてとらえているので)を解析し、解釈して、結論に導くという演繹的な思考ができるようになる。これは科学的論文を書く際の重要なポイントである。


そのサイトには伊藤真のような通訳になる、、、とあったので伊藤真て通訳だったっけ?と思ってググって見たところ、、、。彼はWikipediaの項目になっているほどの有名人だということがわかった。伊藤塾の塾長だということは聞いていたけれど、著書の数も半端ではない。(伊藤真氏は通訳を本職としているわけではなさそうです。でも通訳やってもきっと上手だろうと思いますが。)


伊藤氏と私とは実は同級生である。でも1学年8クラス400名のマンモス校で、一度も同じクラスになったことはない(と思う)し、超優秀だった伊藤氏とビリから数えて十指に足りたはずの私とでは会話すらしたこともない。よって氏は私のことをご存知ないだろうし、私も彼のことは全く記憶になく、ただ名前だけ覚えている程度である。(身長187cm、体重88kgとあるから、彼は日本人離れしたスラリとした長身、容姿端麗、頭脳明晰。しっかりと天から二物以上を与えられている選ばれた人の一人だ。)

ウィキペディアに出ていた「国粋主義だった時期がある」が何を意味しているの不明だが、日本に頑張ってもらいたい、国際社会に出て負けないで欲しい、せめて肩を並べて競争できるだけの力をつけて欲しい、と感じたのではないかと思う。もしこのあてずっぽう的推測が正しければ、彼と私とは「頑張れニッポン」という共通の願望があるということになる。

「やればできる、必ずできる。」というのがモットーだとのこと。彼ほどの能力と実力が備わっていれば、何をやってもできないということはないに違いない。もしかしたら、料理や裁縫だって上手かもしれないと思うのである。美大や音大にいけるほどに絵が描けたり、ピアノが弾けたりするかもしれない。受験の模試で偏差値は75が最低ラインだと信じているようなタイプかも知れない。

エリート中のエリートが、これまたエリートを対象に司法試験の受験指導をしているということなので日本の将来は大いに期待されるのである。
現在の日本企業の法務部は、現場(その会社の製品技術や技術の利用方法など)をあまりご存じなく、契約文言のビジネスという観点から見たときの是非の判断が不適切だったりする方が時々いらっしゃるので、ぜひとも伊藤塾では、法律を熟知しているだけの法律家の養成ではなく、何のための法律かも心得た弁護士を養成してもらいたいものだと思う。

英検合格やTOEICで高得点を取ることを目標した英語学習だけでは、現場での実践力にはなりえないことを私が痛感しているように、司法試験合格を目指すだけの伊藤塾ではなかろうと密かに期待しているのである。いつか機会があったらお目にかかってみたい相手である。


かなり大幅に脱線してしまったけれど、刑事が現場に残された証拠から犯人を割り出す時のみならず、臨床の場において患者さんの症状から診断をつける場合でも、エンジニアが新しい設計をひらめく時も、そして通訳する時も、鋭い観察力+解析力+結論+結論の事象への適用というクローズループが重要である。
これまでの受身的な授業態度では、この観察力⇒演繹力は養えない。日本の教育に対する私の危惧の一つである。