電話会社の線路マンだった父と私:Subject Matter Expert

私の父は電電公社の線路マンだった。線路あっての電話会社だという意識が強かった時代のことである。
まだ通信インフラが充実していない昭和20年代30年代に、電柱を立て、線路を敷設し、、、という仕事をしていた(らしい)。線路宅内課に勤務していた頃は、車が電柱にぶつかったという事故が発生するたびに呼び出され、夜遅く帰宅してもすぐに会社へトンボ返りすることがよくあった。


父のおかげ(?)で私が会議通訳になってから、通信事業者の仕事をすることが多かった。最初は課金システムの構築といったコンピュータシステム関係の案件で、そのうち通信衛星のプロジェクトの専任通訳となったおかげで無線のことをかなり勉強した。最近は、ネットワーク装置メーカーの仕事を引き受けることが多いため、ルーターだの交換機だのという分野に携わっている。


今回のプロジェクトは線路設備管理システムの構築だ。コンピュータシステム開発には違いないが、そのシステムで扱うデータが全て線路に関わる内容だ。加入者所在地から最寄の電柱まで、電柱から電話局まで、電話局間、場合によっては国際回線に繋ぐところまで物理的に「電話線」を追いかけていく。でも電話だけではなくデータも送受信されるので「ケーブル」と言った方が正しいのかもしれない。しかもメタルと光ケーブル両方を扱う。今回のプロジェクトはバリバリ線路に関する案件なのだ。


同じ通信分野のプロジェクトの中でも一番私の血が騒ぐ。「線路」がちゃんと私の遺伝子に組み込まれ、DNAに焼きついているのだろうか。キャリヤ特有の専門用語、隠語が頻出するのも楽しい。この用語を全部マスターしたら「Subject Matter Expert」になれるかもしれない。最近は電話会社の人でも現場をほとんど知らないらしい。(工事は業者に委託しているため。)父が生きていれば、このプロジェクトに私が関わったことを喜んでくれるに違いない。いろいろと指導してくれることもあったかもしれない。残念なことに父は2年前に他界した。父の生存中、昔話として聞いたことがあっても、業務としての線路の話はしたことがなかった。このプロジェクトを通じて、生前は希薄だった父とのつながりが深まるかもしれないと楽しみにしている。