チェンジリング

日本発SF行きの飛行機の中で、チェンジリングを上映していることに気がついた。
アカデミー賞ノミネートの広告を見た時から、この映画を見たいと思っていた。
誘拐された息子が「取替えっ子」となって帰ってきた母親が、実の子を必死になって探し続ける、、、、
というストーリーだと思っていた。

ところが実際に見てみると、誘拐された子供に似た子を連れてきて、強引に「事件解決」を宣言する警察の横暴を暴くというのがこの映画の主題だったのだ。
母親のみならず小学校の担任も、歯科医も、その子が本人でないことを認めている。
失踪してわずか数ヶ月の間に、いくら子供が急成長するからと言っても、取替えっ子が生き別れの双子でもない限り、本人かどうか見分けが付かないはずはないと思う。それなのに、警察はその母親を精神異常者に仕立て上げ、自らの正当性を押し通そうとする。

アメリカの映画には「反官憲」をテーマにしたものが少なくない。
政府の陰謀やCIA/NSAなどのスパイ事件、警察の横暴などに対して、市民が立ち上がって正義を貫くといったストーリーだ。
日本でも正義ものの映画はあるけれど、「お上」が悪者になるのは「遠山の金さん」とか「銭形平次」とか「水戸黄門」とかの時代劇の方が現代劇よりも圧倒的に多い(ような気がする)。平成の政府は、映画の題材にすらならないほど腑抜けだということか。

取替えっ子は今ならDNA鑑定で、すぐに本人かどうかわかることだろう。
もっと神隠しを追求したような映画かと思っていたので、予想とは全く違ったストーリーの展開だったが、アンジェリーナ・ジョーリーは好演だった。Burn Noticeという人気TV番組の主演俳優(ジェフリー・ドノバン)が警察署長役の俳優だったので、ちょっと笑ってしまった。(ミスキャストと言う意味ではなく、単純に私の知っている俳優だったという理由でです。)


このブログを書いた後、他の人の感想が気になって検索してみました。大半が子供を誘拐された母親の心情に触れていたけれど、私は何となくそれらの感想が腑に落ちませんでした。それがこの映画の主題だとは思えなかったから。
例えば政府が「めぐみさんが見つかりました」と言って横田めぐみさんを連れてきたとしよう。でもご両親は「これはめぐみではありません。」と否定する。政府は本人説をがんと主張して譲らない。しかしご両親には本人でないという確信があるのだ。政府はご両親を気違い扱いして精神病院に入れてしまう。評判を重視するが故の強引な結論付け、それが正義に反することをこの映画は主張したかったのではないだろうか。


おそらく原作はもっとスリルとサスペンスに満ちたストーリーなのだと思います。
大江健三郎の「取替えっ子」も読んでみたいと思います。